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【直撃取材】さとうさおり党首独占インタビュー「なぜ彼女は一人〝減税党〟をブチ上げたのか?」女性特有の揺らぎを持ったまま働ける社会に!

▲さとうさおり氏

2025年の2月に実施された千代田区長選挙でSNSを駆使して、一躍注目を浴びた女性候補が「さとうさおり」だ。彼女は、選挙の告示後に多くの動画をYouTubeにアップ。選挙期間中に20本近くの動画を投稿し、再生回数は合計235万回を超えた。

印象的だったのは、ネット公開討論会で「千代田区の子育て補助金が、過去に東京23区中8区で不正請求をした企業に流れている」と指摘した動画だ。問われた候補者がしどろもどろのまま回答を拒否したのだ。

「千代田区を減税の突破口にする。そのためなら区長報酬はいらない覚悟だ」

公約は「減税」一本。SNSでも主張が拡散され、一躍注目候補者になった。結果は都民ファーストの会副代表の樋口高顕区長が二期目の当選を果たしたが、さとう氏の主張は広く伝わったのか、選挙運動日最後の街頭演説には400人以上の聴衆が集まり、彼女の主張に耳を傾けた。

現在は政治団体「減税党」の党首として政治活動をしながら、公認会計士として働いている。過去に多くの政治家志望の女性は数多くいるが、自ら政治団体を作ってまで続けるのは珍しいと言っていいだろう。そこまでして政治活動を続ける理由や減税以外の公約について直接話を聞いてきた。


■貧困家庭で医師の道は断念

––本日はよろしくお願いします。

さとうさおり氏(以下、さとう) よろしくお願いします。

––早速で恐縮ですが、幼いころの家庭環境についてお聞かせいただけますでしょうか。

さとう 私は4人きょうだいの貧困家庭に育ちました。中学・高校時代は、朝から晩まで働いていた両親の代わりに、私が下のきょうだい達のご飯作って面倒を見ていました。同居していた祖父の世話は、介護士だった母親がやっていて。

––大学進学なんて言えるような環境ではなかった。

さとう はい。本当は医師になりたかったのですが、医大への進学なんて無理でしたね。

––高校卒業後は就職をしたのですか。

さとう 最初は、飲食店へのコンサルをする会社でアルバイトをしていました。しばらく働くうちに、新店舗を任されることになり、そのタイミングで正社員になりました。つい最近まで高校生だった19歳の私が、パートさん100名を抱える店舗を任されたので本当に苦労しました。「損益分岐点」という言葉の存在すら知りませんでしたからね。

 毎月500時間を超えるほど働き、何とか店舗運営していたんですが、最後は店舗での仕事中、身体が動かなくなってしまって。病院で過労と診断されました。19歳でこれではこの先はもっと大変だぞ、と危機感を覚えました。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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